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| 国が定めた必須科目は、授業をしなくていい?したほうがいい? | ||
| ・受験科目にないなら、国が定めた科目の授業をしなくていい | 8 | |
| ・受験科目になくても、国が定めた科目の授業をしたほうがいい | 34 | |
| ・どちらともいえない | 11 | |
| 総投票数: 53 | 投票するにはログインが必要です |
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編集部さん の質問
2006/10/30 01:05 PM
2006/11/11 10:29 AM hanganさん の回答(コメント)
その他(男)
書き込み総数:1
受験科目になくても、国が定めた科目の授業をしたほうがいい
を選択しました。
わたしは、国が定めたからと言うわけではなく、世界史には
少しでも触れておいた方がいいと思います。
2006/11/13 06:32 PM 瑠姫さん の回答(コメント)
中学生(女)
書き込み総数:1
正直、私はどちらでもいいと思いました。
いい加減に考えてる訳ではなく、ゆとり教育だとか言われて
社会から見れば、私達の年代の人達は馬鹿だと言われて、会社にも就けない。。
そういった大人のかってな事に巻き込まれるのは嫌です。
日本の学力を上げたいなら上げたいなりに、しっかり決めて貰いたいと思います。
2006/11/14 02:03 PM あかむらさん の回答(コメント)
大学生・専門学校生(女)
書き込み総数:1
国が学習すべきだと定めたことには意味があるはずです。
高校までの学習内容というのは、教養として、身につけるべきものばかりです。
受験のためとか、ルールだからという理由ではなく、自分の力を伸ばし、可能性を開くために、勉強というのはするべきだと思います。
2006/11/14 06:30 PM 檸檬さん の回答(コメント)
中学生(女)
書き込み総数:1
私は『受験科目になくても、国が定めた科目の授業をしたほう
がいい』を選びました。理由は、受験科目じゃない教科も受け
ることで色々なことが学べるからです。
受験科目以外の教科の内容などを覚えるのは大変だと思います。
でもその教科をやることで知識がたくさん付くんじゃないかな。
と思います。
2006/11/16 01:26 PM レスポール井野さん の回答(コメント)
確認はしていませんが、大学側の出題する内容を高校生の受験生に身につけさせるためには、教育課程に位置づけられた内容を削った方が、ベターだという判断が働いているのではないかと私は考えています。教育課程を編成し学校に義務付ける側と、大学の求めるものが違っているのではないかと私は思っています。削った時間を「進学」のために「有効利用」していると考えた方が自然に思えます。義務付けを「置いて」リスクを負ってでもやるという現状は否定できないような気がします。
2006/11/16 11:14 PM kodomoyoさん の回答(コメント)
高校生(男)
書き込み総数:1
これは「必修科目だから」ではなく「今まで同じようにやってきたから」と言う問題だと思います。
分かり易く言えば「伝統」でしょうか?
この「伝統」を守るかどうかは個人の問題で、いわゆる「不登校」もこの伝統が「嫌だ」もしくは「合わない」のが原因だと思います。
だからどちらとも言えないに投票しました。
2006/11/18 07:38 PM XANAVI-Zさん の回答(コメント)
中学生(男)
書き込み総数:9
守らなくても良いと思う。「受験に必要ないから」という理由では僕も少々引っかかるけど、そこまで守る必要は無いと思う。
そんなに国の言うことが大切なのかな?
国民1人残らずが意見を出し合い、尊重し合い、作り上げたのなら別だけど、現実は極一部の人が勝手に決めている事なんだし。確かに僕ら国民が決めた人がそういうことを決めるのが大半だけど、役目済ましに投票しただけが多い。そして、お金に余裕があって何千万単位の金を消費できる人がなってるし。もっと能力がある人でも金銭的余裕がなかったらなれないことになるし。
「国会が絶対的なんだ」と考えるのもおかしいと思う。大胆な話、国民全員が乗り込んでみたら、あるいは無視したら、メディアもこのインターネットでも。それでも国会が権力を握ってられると思う?そんなことは絶対無理!そんな曖昧なクセして偉そうな顔してるような人が作った事を神といわんばかりにヘコヘコ守るのは反対です。最も、「する事を進めます」だったらまぁ認めるけどw
2006/11/19 03:44 PM よしかんどさん の回答(コメント)
高校生(男)
書き込み総数:1
私も履修していますし、勉強していても常識として知っていなければいけないようなことがたくさんあると感じています。日常生活には必要ありませんが将来社会にでたとき、国際問題への考え方に大幅な変化をもたらすでしょう。
2006/11/21 09:47 PM ゆたやんさん の回答(コメント)
「国が定めた」からというわけではありませんが、受験科目以外の授業は受けておくべきです。
特に世界史。これを学ばないでいきなり社会人になると、恥かきますよー。
日本史もそうですけどね。
国が定めたというところに抵抗があるといえばあるんですけどね。
教え方が下手な教師の下で、受験に関係のない科目を、いやいややらせられるということも運悪いとあるかもしれませんね。
そういう意味で、多少不幸な側面もあるのでしょうが、教育というものは多かれ少なかれそういうものですから。
2006/11/22 12:02 AM 元キャンギャルのSEさん の回答(コメント)
知識は世界を広げます
知識や知恵は持っていたほうが「素晴らしいもの」に出会うチャンスが増えます。
その機会を持つ事は素晴らしいのです。
2006/11/24 11:13 AM niyurikaさん の回答(コメント)
日本人は国というものが上にあって、その定めることは、守らなくてはならないと思っているらしい。
ところが法律を定めるのは選挙で選ばれた議員さんだけど、細かいことを決めてるのは、上級職を受かった公務員なわけ。
だから学習指導要領なんてのも文部科学省の役人の作文で、これがとても読みにくく作っているわけ。
ゆとり教育なんてのも17年前の幼稚園保育園の指導方針がいやなものでも食べさせるから、いやなものは食べなくていいに変わってから、つくられてきてるわけ。
国が定めるべきは、昔みたいに5教科満遍なく受験させることでしょう。
そうすれば受験対策などと姑息なうそを現場監督の校長につかせる必要もなくなるわけだ。
国はうえにあるものではない。
国民に奉仕するための装置に過ぎない。
不都合があれば変えさせればいい。国民にそれだけの知力を持たせないようにするためのゆとり教育ならそら恐ろしいことだ。
2006/11/26 11:42 PM やっちん?さん の回答(コメント)
世界史が他の教科に比べて特別必要だとはまったく思わないけど、ルールとして決まっている以上、受けなくてもいいという道理は通るはずがないというのが私の考えです。
文科省の必修科目の設定の基準も大きな問題と思うけど・・・
自分は今の指導要領になる前に卒業しているので、日本史も世界史も中学2年以来受けていません。何の支障もないし、世界史が必修になる意味が分からない!
2006/12/02 03:02 PM こうりーさん の回答(コメント)
父親・母親(女)
書き込み総数:1
学生の頃女子高だったこともあり、進学は大半が文系だからか理系科目に関しては今思うとかなり「そんなんで大丈夫?」というような授業内容だったようにおもいます。
物理のテストで「説明せよ」という問題だと絵も描いて説明しないと減点とか(逆に言えば絵が描いてあれば点数がもらえるという)
それはこの科目に関係あるのか??というような授業で1限終えてしまったり
数学も数Ⅰ・数Ⅱと数Aをちょこっとしかやっていなかったり
他色々・・・
そんな状況の中私は理系の大学へ進学したんですが、1年2年は基礎科目が大半だったので力学とかはサッパリでしたし数学もかなり苦労しました。
今思うとなんであんな授業内容で理系へ進みたいと考えたのやら・・・
話を本題に戻しますが、私は「どちらともいえない」に投票しました。
いくらなんでも数学が中途半端とかは大問題ですが、授業時間の問題があるというならたとえば文系・理系のクラスに分けて必要科目を重点的にして他の科目と上手く調整できるといいのでは・・・と思います。
しかしそう考えると結局時間の足りない科目が出てくるだろうし、結果的には今の現状と変わらないのではとも思いますし・・・
色々考えていると「どちらともいえない」となってしまうわけです。
学校自体受験に固執しているような気もしますし、
学ぶことに何も無駄といえるものはないように思います。
(意外となんでこんなことまだ覚えてるんだろうとか思うことがありますし)
しかし叔母が高校生だった頃とはずいぶん変わって週の授業時間は明らかに減っているのも現実です。
単位が足りない科目が出てくることが問題とするなら、ゆとり教育とかいって授業時間を減らしてしまったことに最も問題があるのではと思ってしまいます。
ただ、今更「じゃあ授業時間戻しましょう」とか学生に言っても恐らく納得してもらえないでしょうけどね・・・。
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2006/11/10 08:40 PM たかちゃんさん の回答(コメント)
たかちゃん さんの仕事白書
( 中学校教師 )
書き込み総数:3
私はかねがね生徒に「なぜ学ぶのか」に対して「だまされないで生きる力をつけるためだ」と答えています。まさか中学生で釣り銭をごまかされるような人はいないと思います。それは小学校からの学びがあったおかげです。かつては文字も読めず、大事な先祖代々の財産を失うような人もいました。
現在の中学生でも、大人になったとき、だまされないためにもっともっと学んでおく必要があると思います。そうした意味において、受験のために学習の範囲を区切ってしまうというのはどうなのでしょうか。仮に合格を果たしたとしても゛そこで得た力は「だまされないで生きる力をつけた」と言えるのでしょうか。私は疑問に思います。
受験勉強で忙しいからといって、「ニュースなんて見てないもん」と平然という人がいます。それって自分に跳ね返って来るのではないでしょうか。青年時代の勉学に専念できる機会にありとあらゆる知識を得ようとしてみることが大切だと思います。